ブログ 書く書く しかじか

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精霊たちの家 一族の愛、絆、対立、そして革命

イサベル・アジェンデが生んだ傑作

 人は、家族を、土地を、祖国を思う。そこに愛が生まれ、対立が生じる。ぶつかり合うから、絆が生まれる。チリ人作家、イサベル・アジェンデの「精霊たちの家」は、一家3代を中心としたヒューマンストーリーで、波乱万丈のエピソードが緩みなく続いていきます。ラテンアメリカ文学の傑作の一つに挙げられています。

 

 日本語訳は、現在3種類があります。最も新しいのが上下巻に分かれた文庫。次に、池澤夏樹さんが編集を手掛けた世界文学全集シリーズ、最も古いものが1994年発売の単行本。いずれも訳者は、木村榮一さんです。

 

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 とにもかくにも、なんと濃厚なのか。それなのに、なんと軽やかに流れるのか。語り口のうまさは特筆ものです。一度その世界に引き込まれると、簡単には抜け出せません。恐るべき力で、前へ前へと引っ張られていきます。


 世代またぎの長い年月を扱っている割に、登場人物はそれほど多くありません。それでも、ストーリーには驚くほどの立体感と深みがあります。


 その一番の要因は、多様な対立軸で全体を貫いていることだと思います。活気ある都市部と発展途上の農村部、支配する経営側と搾取される農民側、自らの意を押し付けようとする親と反抗する子、異性愛と同性愛、そして保守と革新。さまざまな立場の人々が己の主張を声高に叫び、もがきながら目いっぱい生きる。作者はどの人物にも肩入れしません。ただ寄り添うだけ。だから、間口が広く、振れ幅の大きい世界が生まれるのです。


 こうした対立する関係性は、多少の差異こそあれど時代を問わず普遍的で、言うまでもなく現代社会にも同じように残っています。だから、1982年発表の作品なのに、古びた感じがありません。むしろ新鮮味さえ覚えるのです。


 たとえば、主要人物エステバーン・トゥルエバの姉フェルラは、病を患った母親の世話をしていたがために結婚できないまま年を重ね、その後、弟の妻に恋心を抱くようになります。少子高齢化による介護人材不足やLGBTの人権について議論がなされる今日にあっても、そのまま通用するかのような設定です。フェルラが抱く葛藤や嫉妬は、今この時代を生きている人にこそ届いてほしいと思わせるような、真に迫るものを感じました。

 

舞台背景にチリの歴史も


 本作は家族を中心としたストーリーでありながら、同時にチリを舞台にした歴史フィクションの要素もあります。1970年の社会主義政権の樹立、73年のクーデターによる軍事政権の誕生、その後の混乱と、物語は終盤へ向けて加速していきます。激動する社会情勢に翻弄されながらも、自らの足で踏ん張り、次への一歩を踏み出そうとする登場人物たちの姿には胸を打たれます。


 チリの史実をひも解くと、1970年の大統領選で勝利して社会主義政権の誕生を導いたのは、作者イサベル・アジェンデの叔父サルバドール・アジェンデでした。サルバドールはクーデターによって死亡。イサベルは混乱を逃れるように、ベネズエラに亡命しています。異国で1年かけて書き上げた初の小説が本作だといいます。祖国の変革と親族の無念が、彼女にこれほどの大作を書く動機を与えたことは想像に難くないところです。


 本作はたびたび、ガルシア=マルケスの「百年の孤独」と比較されます。確かに共通点は多いでしょう。両者ともにラテンアメリカの生まれで、もともとはジャーナリスト。いずれも一族の年代記。そして、両作ともマジックリアリズムと呼ばれる手法を用いています。


 アジェンデはガルシア=マルケスと比べられ、時に本作が「百年の孤独」の二番煎じと言われることにうんざりしていたといいます。彼女の境遇を思えば、もっともと同情の一つも覚えないわけではありません。


 ただ、一人の読者として言わせてもらうなら、ぜひとも両作を比べてみたいところです。どこが似ていて、どちらが優れているか、という判定を下すためではありません。合わせて読むことで相乗効果が生まれ、その体験の価値が格段に増すように思えるからです。いずれにおいても世界的な超名作。どちらか一作しか手に取らないのは、あまりにもったいない。