書く書く しかじか

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ペドロ・マルティネス自伝 「史上最高の投手」かく完成

 ペドロ・マルティネスというメジャーリーグの歴史に残る投手をご存知でしょうか。1990年代中盤から2000年代初頭にかけて活躍し、全盛期の圧倒的な投球をたたえて「史上最高の投手」とも称されます。体格は日本人と変わらない細身で、身長は180センチに満たない程度。そんな小柄な投手は、いかにしてメジャーの世界でのし上がっていったのか。そのことが分かる自伝がこのほど発売されました。

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 有名選手がキャリアを振り返る通常のノンフィクションとは、異なる面があります。この手の作品ではたいがい、著者として名前が記されるのは選手本人だけです。しかし、本作では、マイケル・シルバーマンというボストン・ヘラルド紙のコラムニストが連名で作者となっています。
 シルバーマンは単なるゴーストライターではありません。ペドロとかかわりがあった監督、コーチ、チームの幹部、選手、そして家族ら60人以上の人物-具体名を挙げると、トミー・ラソーダ、セオ・エプスタイン、ブライアン・キャッシュマン、ティム・ウェイクフィールドカート・シリングジェイソン・バリテック、デビッド・オルティーズ、ラモン・マルティネスら-にインタビューしたといい、そこで得られた話を盛り込んでいます。
 ペドロの独白形式なのに、周辺人物によるかぎかっこがとても多く、ストーリーは立体的です。ドジャースからエクスポズへの突然のトレード、希望していなかったレッドソックスへの移籍といったオフシーズンの舞台裏から、レッドソックスで味わったワールドチャンピオン、ヤンキースドン・ジマーコーチ投げ飛ばし事件への思い、故障した右肩との付き合い方など、さまざまなエピソードが取り上げられています。
 ペドロの語り口調は、とにかく滑らかで、どこにもつっかえることなく読み進めることができます。描写は細部まで行き届いており、どこがペドロの記憶によるもので、どれがシルバーマンによる取材で肉付けされたのか、判別しづらいほど自然な文体で書かれています。二つの要素を継ぎ目なく組み合わせ、さらりと読める470ページもの作品に仕立てたシルバーマンのライティング技術には感銘を受けました。
 ペドロがメジャーリーグに昇りつめていく上で、ドジャースのエースだった兄ラモン・マルティネスの存在がいかに大きかったか、本作から知ることができます。190センチを超える体格に恵まれ、人間的にも成熟した兄とは対照的に、弟のペドロは180センチに満たない細身で、精神的にどこか幼いところがありました。「背が低すぎる」という悪評と闘い、周囲の人物とぶつかっては涙を流し、数々の困難を味わいながら、兄の言葉を励みに成長していく―。ラモンなくして、ペドロの立身出世譚はなかったと感じます。
 ペドロ・マルティネスという投手を語るにあたって、代名詞とも言える内角攻めも避けては通れないでしょう。ドジャースのアカデミーに在籍していた時代に実戦で死球を与えた後、コーチから「メジャーで成功するには、絶対に必要。内角に投げるのをやめるんじゃない」と諭され、その教えを守ったという話は興味深いものがあります。ペドロ自身も「僕よりも背が高く、体重があり、強い肉体を持つ投手-すなわち他のほとんどの投手が、なぜ内角を積極的に攻めようとしないのか、僕にはまったく理解できない」と語っています。
 一方で、現役時代に与えた死球の「90%は意図的」とも明かし、挑発行為と受け取れる態度を取った打者には故意にぶつける、といったメジャーリーグの負の文化を最も体現した投手の1人だったことも分かります。「首狩り族」(Head Hunter)というあだ名で他球団やメディアに批判されながら、それでも臆せず内角に投げ続けた気の強さには脱帽します。
 160キロ近い浮きあがるような軌道の直球、まるで意思を持ってバットから遠ざかっていくようなチェンジアップ、右打者が思わずのけぞるほど鋭く曲がるカーブ、狙って四隅に決められる抜群のコントロール…。投手として必要なあらゆる要素を兼ね備えていたペドロも、最初から全てを持っていたわけではありません。往年の名左腕サンディー・コーファックスやラモン、投手コーチらの助言を消化しながら、少しずつ技術を上げていったことが、本作では紹介されています。
 ペドロの到達点は1999年と2000年でしょう。1999年は23勝を挙げ、奪三振数は313、奪三振率は13.20。いずれも自身のキャリアハイです。2000年は、WHIPが0.74でメジャー歴代最高、ERA+が291で歴代2位(1位は1880年の記録)、防御率 は1.74で2位のロジャー・クレメンス(3.70)に2点近い差を付けるなど、異次元のパフォーマンスを見せました。
 ステロイドの使用によって本塁打が飛び交い、打者が投手より圧倒的に優勢だった時代です。2000年、アメリカンリーグの打者の平均打率は.276でした。そんな背景をものともせず、球史に残る突出した成績を打ち立てたのは驚異的と言うほかありません。「僕のピークは、バッターのピークと重なった」「誰もまったくドーピングをしていなかったら、1990年代後半から2000年代初頭にかけての僕の防御率は、さらに低くなっていたのではないだろうか? そんなふうに想像することもある」とペドロは本音を吐露しています。その言葉通り、同じ能力を持って違う時代に投げていたら、いったいどれほどの数字を残していたでしょうか。
 体格に劣っていても、競争が激しいベースボールの世界を生き抜き、超一流の投手になることができる―。それをペドロは証明してみせました。どんな気持ちで練習し、努力し、打者と勝負してきたのか。メジャーリーグのファンのみならず、その舞台に上がることを夢見る日本人投手にも、ぜひとも手に取って読んでもらいたいと思います。