旧江戸川乱歩邸 巨匠が選んだ池袋の地
「引っ越し魔」の終の棲家
日本の推理小説の礎を築いた江戸川乱歩は、「引っ越し魔」として知られています。東京だけで26回、生涯通じて46回も転居を重ねたといいます。そんな乱歩が終の棲家として後半生を過ごした邸宅が池袋の街に残されています。現在は、隣接する立教大学が「大衆文化研究センター」として管理しています。行ってみることにしましょう。
旧乱歩邸の門柱。乱歩の本名である平井太郎と、一人息子・隆太郎さん(立教大名誉教授、2015年没)、2人の表札がかかっています。乱歩邸の公開は毎週水曜・金曜。予約不要で入場無料です。
門側から見た邸宅。乱歩がここに転居してきたのは1934(昭和9)年で、当時は家賃90円の借家だったそうです。1952(昭和27)年、乱歩が買い取って所有者になったとのこと。立教大学には2002年3月に譲渡されたそうです。
玄関を入った先にスタッフの方がいますが、見学に際して声をかける必要はありません。出入り自由です。
玄関脇にある乱歩の人物紹介パネル。
玄関の先には、資料や昔の本が展示してあります。
「黒蜥蜴」はシンプルな装丁。黒いトカゲのイラストが目を引きます。
明智小五郎を演じた役者の説明があります。ここに記されているのは、浅野忠信、仲村トオル、渡部篤郎ら。
少年探偵団と明智小五郎の説明。少年探偵ものはミステリーと通俗の両要素を併せ持つ乱歩の集大成の小説で、その評価は分かれるものの、乱歩の支持層を広げていく上で大きな役割を果たした、といったことが書かれています
発刊当時の少年探偵団シリーズ。
眼鏡、文具、ベレー帽など、乱歩の愛用品が展示してあります。
乱歩がしたためたトリックの分類表。これをもとに「類別トリック集成」を発表しています。
さて、門から中庭に通じる道を進みます。そして、外から見えるのがこの応接間。シックな内装にあって、ブルーのソファとチェアがひときわ目立ちます。中に入ることはできません。
乱歩の肖像画。還暦祝いで描いてもらったものだそうです。
乱歩が愛用していたデスク。ニッカのゴールドウイスキーとスコッチの箱があります。きっと愛飲していたのでしょう。ほかに、地球儀、扇風機、黒電話、ランプなどが置かれています。
応接間の入り口には、説明パネル。
中庭側から見た邸宅。応接間がある建物だけ2階建てで、壁面の色が違います。
中庭には小さな貯水池が残されています。説明にあるように、乱歩が戦時に防火用に設けたとのことです。
その貯水池。「はなはだ不細工な代物」には必ずしも思えませんが、乱歩のお気に召すものではなかったのでしょう。
乱歩邸の敷地と建物を紹介したイラスト。建物は階段状の変わった形をしていることが分かります。
応接間の建物から移って、次は平屋部分。ここのガラス窓には明智小五郎の年表があります。
横溝正史との親交を紹介するパネルも。
乱歩が好んだ言葉「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」の直筆。
パネルの説明にある通り、これはエドガー・アラン・ポーの言葉を参考に生み出したのだそうです。江戸川乱歩のペンネームもポーが由来。乱歩にとって、ポーがいかに大きな存在だったかがうかがえます。
次は土蔵です。乱歩の所蔵した書物が収められています。中庭側から見た外観。
裏側から見るとこのような感じです。建物の保存状態は良いようで、灰色の壁はとても堅牢に見えます。
土蔵の入り口に置かれているパネル。2003年3月に、豊島区指定有形文化財に指定されています。
土蔵入り口に張られている「私の本棚」と題した乱歩の文章。1954(昭和29)年、読売新聞に掲載されたものです。蔵書の内訳は、国文関係が一番多く、そのうちの半分が徳川時代の和本で全体の5分の1を占める、といった説明が書いてあります。
1階部分の蔵書を紹介するパネル。
同じく2階部分の蔵書紹介パネル。いずれも土蔵の入り口に置かれています。
1階の蔵書。中に入ることはできず、ガラス越しに見ることになります。和書(翻訳書含む)13,000冊、洋書2,600冊、雑誌5,500冊ほどがあるとのこと。
土蔵の入り口に近い側の書架。拡大してみると、推理小説に関する和洋の本が並んでいます。
漱石全集も。
土蔵を囲むように書架が設けられ、びっしりと本が並べられています。古書店のような趣です。
チェーホフ全集、キルケゴール選集、ヘロドトスの歴史、谷崎潤一郎の細雪、斎藤茂吉の柿本人麻呂の研究書、千夜一夜、吾妻鏡などなど多種多様な蔵書が見えます。
さて、土蔵から出て中庭へ。敷地を取り囲むように木々が植えられています。そちら側から中庭を見るとこのような感じ。
庭の先から見えるのはテニスコート。立教の敷地です。
乱歩邸では一筆箋を販売しています。300円。乱歩の姿、土蔵の2種類があります。
乱歩邸、楽しめました。まず階段状の建物そのものが面白い。平屋部分は瓦がグレーなのに、玄関と2階部分は屋根が赤色。平屋部分は和風の装いなのに、応接間がある2階建て部分は洋風の趣き。そして何より、東京の中心地では今となっては珍しい土蔵の存在。一筋縄ではいかない乱歩の小説よろしく、とても特徴的な邸宅だと感じました。当時、この辺りは梅林やツツジなど緑が多かったそうで、豊かな自然が乱歩をひきつけたのではないかと言われているそうです。引っ越し魔の琴線に触れるものが、ここにはきっとあったのでしょう。乱歩の息遣いが今に伝わってくるようでした。
さて、池袋には、乱歩が愛した和菓子店が今も残っています。三原堂という店で、池袋西口にあります。そちらにも行ってみることにします。